福澤さんの悩みを共有してみよう

いろんな人に悩みをうちあけたら、「それは誰でも同じことだ」という旨を言われることが非常に多いなと思いました(なんかあまり親切じゃないですよね)。それならば、悩みを共有できる場を作って、少しでも多くの人が見せかけでも安心が得られるように、とブログを作ることにしました。

インフルエンザの予防接種

こんにちは、こんばんは。福澤みさき(@misky42)です。
最近、仕事と家事で疲れているのか、仕事から早く帰れると、夕食を食べて20時には寝てしまいます
(そして、変な時間に起きて、朝まで眠れなくて、寝坊する)。
気持ちがたるんでいる気がするので、引き締めたいです。

さて、今度の年末年始の休暇は、旅行やレジャーで出かけることにしました(岩手の実家には帰らず、遊びます)。
そこで心配なのが、インフルエンザです。
仕事を休むのはいいのですが(おい)、遊びの予定をキャンセルしたくはないので、数年ぶりにインフルエンザの予防接種を受けに行きました。
ここ数年、受けていなかったのは、前に予防接種を受けたとき、数日後に体調が悪くなったからです(予防接種が原因かどうかはわからないのですが)。
でも、体調が悪くなったのも一日だけだったし、年末年始を安心して過ごすことを考えれば、やったほうがいいと思い、重い腰をあげ、受けに行く決意をしました。

予防接種の値段は病院によって違います、きっと自由診療扱いなんですね、保険証もいらないと言われたので。
相場が3000~4000円ですね(お子さんなどは2回打つ必要があるみたいなので、この倍くらいです)。
安いところが近場にあればいいですけれども、安くても遠かったり、人が多くて待たされるところだと、高くても近場のほうがいいでしょうね。
私はたまたまいいところ(近場で、混んでない)に3000円以下のところがあったので、そこに受けに行きました。

仕事の雇い主に言って領収証を出せば、予防接種の費用を払ってくれると思いますが、私は会社(法人)ではなく、個人に雇われていて、就業規則もへったくれもありませんので、自費になることを考えて、安いところを探してみました。
かかりつけ医に問い合わせてみて、自分の納得できる金額だったらそこで受ければいいし、高いなと思ったらその近所で探すのもいいと思います。
内科じゃなくて、皮膚科とかその他いろんな診療先でやってます。
私の行ったところは、内科の小さなクリニックで、医師が打ってくれました(看護師がしているところもあると思います)。
肩の近くに打ってもらい、打った後に、日付、医師の名前、ワクチンのロットナンバー(ビケンHA)などが書かれた接種済証明(小さなメモ)をいただきました(あとで自分でおくすり手帳に貼りました)。

今年のワクチンは、4種類のワクチン株が含まれているとのことです(A型株2種類、B型株2種類)。
毎年、どの型のインフルエンザが流行るか予想して、ワクチンは作られていますので、予想がはずれたり、新型だったりすると、予防接種をしても意味がないんですけどね。
予想されている型のウイルスだった場合、罹患しても症状が軽くすむらしいです(ホントかね?噂で聞いたことがある程度なので、本当かどうかわかりません)。

とりあえず、このワクチンの効果がどうであれ、「精神的に」安心したので、よしとしましょう。
もし私が行けそうなところで安いところがあったら、こっそり私に教えてくださいねwww
来年はそこに行くかもしれませんwww

 

インフルエンザ診療ガイド 2016-17

インフルエンザ診療ガイド 2016-17

 

 

自分のものさしは、とてもしつこい

こんにちは、こんばんは。福澤みさき(@misky42)です。

私は、常日頃、できるだけ自分を客観的にみるように意識したいなあ、と思っています。
自分の考えについて「本当に正しいのかな」と自分を信用せずに疑ってみるようにしています。
しかし、どんなにがんばっても、気が抜けて忘れてしまうのか、意識が足りないのか、主観的にものごとをみてしまうことがあって、凹みます。

たとえば、自分と違うタイプの性格の人が考えていることについて、誤解してしまうことがよくあり、悩みます。
私は、なんでもオープンな性格で、なんでもはっきり言ったり、主張したりすることができます。
一方、世の中には、私とは違って、思っていることを言葉や態度に出すのが苦手で、なんでもうまく簡単に話せるわけではない、という人もいます。

私も「ある程度の内容」のことになれば、「こういうことは言いにくいだろうから、相手は言えないだろうな」と思い、相手の心の中の本音をなんとか読み取ろうとします(超能力者じゃないのでそんなことは無理なんですけれども、無理は承知で、なんとなく、こういうことを相手は思ってるのかな~、と3パターンくらい相手の思考の予想をします)。
しかし、自分の想定を完全に超えた事態になると、「え、なんで言葉に出して言ってくれないんだろう。なんで表情や態度に出してくれないんだろう。私、嫌われてるのかな……(不安)」なんて、とんでもない勘違いをしたりします。
丁寧に探ってみると、実は、私が「こんなの、誰でも言葉や態度に出せるでしょう」と思い込んでいたことが、実はその相手の人にとっては「とても言葉・表情・態度に出して言える内容や状況ではない」ということが判明、なんてことがあったりしてね。

そんな感じで、どんなに自分をうたがってかかっても、「自分の考えを信用しないぞ!」とどんなに決意しても、「自分のものさし」と言うものは、無意識に、しつこく、自分の脳みそにへばりついていて、なかなかはがれ落ちることがありません。
無知の知(英語でいうところのI know that I know nothing)」という哲学者ソクラテスの有名な言葉がありますが、この「無知の知」に至るのは、とても難しいことだと、日々実感します。

もしかすると、「知らない」ということを知らずに生きるとか、自分でなんにも考えずに人に流されて長いものに巻かれて「はいはい」と生きるとか、あるいは誰の話も聞かずに自分の主張だけで生きるとかするほうが、楽で幸せなのかもしれません。
しかし、それでは、私の大切な人たちを大切にしていないことになると思うし、自分のことも本当にわかってもらうことはできないかもしれないし、その結果、(私自身の考える)「幸せ」にたどり着けないのではないか、と思うのです。
私は幸せになりたいから、愚者なりに、少ない脳みそを動かしつつ、今日も、(楽ではないけれど)こういうどうでもいいことを考えて、生きていきたいと思います。

 

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

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