福澤さんの悩みを共有してみよう

いろんな人に悩みをうちあけたら、「それは誰でも同じことだ」という旨を言われることが非常に多いなと思いました(なんかあまり親切じゃないですよね)。それならば、悩みを共有できる場を作って、少しでも多くの人が見せかけでも安心が得られるように、とブログを作ることにしました。

私の気持ちは、きっと誰にもわからなかった。あと、樹海の死体のこと。

こんにちは、こんばんは。福澤みさき(@misky42)です。
更新が10日以上あいてしまいました、もうすっかり秋ですね。
私は夏の暑さにとても弱くて、あと虫に刺されたときのかゆみがしんどいので、夏が終わると、いつもほっとします。
でも、毎年冬が来ると、鬱が来るのも事実で、そう考えると、これからの時期、精神がどうなるのか、とても不安で、怖いです。
周りの人には迷惑をかけないように過ごしたいとは思っています。
今年の1月になってから、長年続いた精神疾患もやっと落ち着き、「寛解(かんかい)」の状態に入ったのではないかと、病院の先生と話しているから、大丈夫かなあ。
それでも月に1回はかならず、「今月も心はなにごともなく平和でした」と担当医の先生に報告に行くのは続けています。
何がきっかけでどう転ぶかわからないからね。

 

数年ぶりに、とても落ち着いた精神状態が、長い期間安定して続いていて、思うことは、「躁鬱の私の気持ちなんて、誰にもわからなかっただろうし、わからなくてもしかたないことだな」ということです。
こんな安定した状態が普通のならば、私だって、過去の私の精神状態を忘れてしまいそうなほどです。
寝たきりで、食べることも眠ることもできず、もちろん外にも出られず、家事や、お風呂などの身支度までなにもかもできなかった状態。なんだか、遠い昔のことのようです、実際は去年までのことなのに。
そういえば、最近、過労で自殺した某有名会社の従業員だった若い女性のことが話題になっていますね。とても悲しいことですね。私は、自分を生かしていこう、自分、死なないようにしよう、そう思います。

もし、いつか私が、また死ぬことしか考えられなくなったときに、どうか、今のこの自分の気持ちを覚えていて、なんとか死ぬことだけはさけてくれますように。
未来の私よ、どうかお願いよ。

 

先月も「樹海ナイト~死体もあるよ!~」(新宿ロフトプラスワンにて)という、他の方から見たら、大変趣味の悪い18禁の深夜イベントに行ってきましてね。
樹海マニア(遺体探しが趣味の人)が、樹海で撮影してきた、数々の自殺変死している遺体の写真を、延々とスライドショーで観るというトークイベントです。
もうこれ何をどう説明しても伝わらないと思います、百聞は一見にしかずなので。
お客さんはみんな、そういうイベントだってわかってきているのにもかかわらず、途中退出する人がいたり、トイレで具合悪そうにしてる人がいたりしてね。
私も私で、無意識のうちに疲れてしまったようで、終わった直後に、今まで経験したことのないひどい頭痛に襲われました。
樹海の自殺者って、ただ死んでいるんじゃないですよね。
もう遺体の損傷や腐敗がひどすぎたり、ひどく恐ろしい表情してたり、死に方も本当にひどくてね。白骨化している人ももちろんいるし、白骨化ならまだ見られるほう。
絶対にどこにいっても見られないそんな写真をみたんだよね。
樹海マニア(サイコパス?)の人が、嬉々として目を輝かせて生き生きと遺体の見どころを解説したり、遺体を変なものに例えてゲラゲラ笑ったりしてるんです。
私は別に何とも思わないですけれども、耐性のない普通の人は一生トラウマレベルでしょうね、あるいはショックで一時的に精神おかしくなるか。

私の勝手な想像なんですけれども、樹海で自殺する人というのは、おそらく鬱の人ではないと思うんです。
鬱だけではなく、躁も持っている人で、双極性なんじゃないかな。
それで、鬱がなおりかけて、躁のタームに転じてきたあたりの人が、樹海に出かけて行くのではないか、と思います。
鬱だとベッドから出られませんから。
鬱から躁になってくると、色々やる気が出過ぎて、なんかおかしい行動というか、通常ではない、やりすぎな「過活動状態」に入るんですよ。
そんな躁状態に入った人たちが、思い立って、やる気満々で樹海に出かけて行って、自殺するのかなあというのが私の勝手な想像です。
ちなみに、躁が終わると、今度はまた鬱が来るんですよね。そして、躁と鬱を延々と繰り返す、だから双極性。
話が脱線してしまいましたが。
樹海で自殺したら、ああいう遺体捜索が趣味の人に見つかって、さらされて、おもちゃにされて、散々な目にあうんだなということはよくわかりました。
死者に名誉棄損は成立しませんけれども、ひどいものです。だから、あそこで死ぬなんて、やめたほうがいいよ。
そういうことも考えられないくらい追い詰められてるから&躁状態ハイテンションだから、自殺してしまうのかもしれないけれども。

結論として私が言いたいことは、精神疾患の人は、健康な人の気持ちはわからないし、健康な人は、精神疾患の人の気持ちはわからないだろうなということです。
わからないのは、どう頑張ってもしかたのないことだと、私はわかりました(そう気づく貴重な出来事がありました)。
どうしてもまたしんどくなったとき、せめて、いろんな結論を早々に出さないことを心がけたいなと思います。
さっきも書いたけど、それを未来の私が、今度も覚えていてくれたら。願うことは、ただ、それだけです。


そして、あの樹海の人々のご冥福をお祈りいたします。せめて、どうか、死んだことで、幸せになれていますように。そう願っています。

 

樹海

樹海