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福澤さんの悩みを共有してみよう

いろんな人に悩みをうちあけたら、「それは誰でも同じことだ」という旨を言われることが非常に多いなと思いました(なんかあまり親切じゃないですよね)。それならば、悩みを共有できる場を作って、少しでも多くの人が見せかけでも安心が得られるように、とブログを作ることにしました。

生きていることが、つらいですか?

私のブログの目的

毎日がつらい。
そして、つらいことをつらいと言えないのがつらい。
「つらい」と言うと、「みんなも同じ(だからお前だけ特別につらそうにするな)」っていう冷たい答えが返ってくるから、日常生活の中で、誰にも言えなかった。
だから、ここに書いてたんだ、今まで(そしてこれからも書く)。
そして、勝手に読んでくれた人が、何か感じてくれたらいいなと思う。
一番の理想は、自分と同じように、「つらい」と言うと、そんなの大したことじゃないから甘えるな、的な冷たい返事がこわいから「つらい」って言えなくて苦しんでいる人たちが、何か少しでも、楽になってくれたらいいな、っていうことだよ。
そう思って、ブログを書いてる。
この目的宣言は、ブログのタイトルの下にも書いてることだけど、あらためて書いてみた。

たしかに、つらいのはみんなも同じだけれども

最近気づいたことがあるんだ、「つらさ」について。
今までずっと、そうやって、つらいって言うのをリアルで我慢し続けていたけれども、精神疾患になって、精神科に数年間かよいつづけて気付いたことがあるんだ。
私はずっと、「みんなも同じ(だからお前だけ特別につらそうにするな)」って言う人が正しいと思ってしたがっていたけれども、実は、そう言う人達のほうが間違ってたんじゃないかなって。
今は、一番病状が重かった時期がすぎて、比較的落ち着いて時期に入ってるから気付けたんだけれども、やっぱり、あのときのつらさは、普通じゃなかった。
すなわち、「みんなと同じ」「誰でも感じること」っていうレベルのつらさじゃなかった。
今落ち着いた現在は、たしかに、みんなと同じレベルのつらさだと思う。
でも、やっぱりあのときは、違った。
医師から、「当時は入院させるべきところ、一か月以上休むべきところの症状だった」と聞かされて、自分でも振り返ってみて、通常ではありえないひどくつらくしんどい状態だったと思う。
くどくなったけれども、結論として言いたいことは、人様に対して、「みんなも同じ(だからお前だけ特別につらそうにするな)」って言ってはいけないなということ。
それは、精神疾患の人に対してももちろんそうだけれども、そうではない人に対しても、誰に対しても。
人それぞれつらさの感じ方や、耐えられる強さも違うし、精神疾患だろうがそうでなかろうが、つらいということは、その人個人の特有のものであって、真実であり、事実。
みんなも同じだとか、人と比べてどうこうとか、言える感覚ではないんじゃないかと思う。
それに、精神疾患は目に見えないし、相当重い症状で死にそうな人だったら、と考えると、よりいっそう、かけてはいけない言葉だなと感じる。

ちなみに、実際に精神疾患をわずらったとき、私はこうなった

私の場合は自傷行為(自分の身体を切るとか)は、一切なかった。
だから、自傷行為をする人の気持ちは、私の感じ方とは違うものなのかもしれない(わかりません)。
私は、ひたすら、ベッドから動けなかった。
ショック原因が、なぜか、何か月たっても、何年たっても、頭から少しも薄れることがなく、濃く濃縮された状態でずっと頭の中に残っていた(ある程度時間がたってもショックが記憶からまったく薄れないのは初めての感覚で、ひたすらとまどい、あせった)。
そのショック原因のせいで、常に絶望感で、目の前が真っ暗な感覚が全身を覆い続けているので、そのせいで、動けなかった。
ただ寝たきりになっているしかなかった。
でも、どうしても動かなければいけない(仕事にいくとか、絶対にやらなきゃいけない用事をしにいくとか)。
床をはって、ベッドから出たままの服(外でも着られるようなジャージ)で、体を引きずるように無理やり出かけた(これが毎日かなりつらかったのを覚えてる)。
身支度とか化粧とかはできなかった。全身を覆い続ける強い絶望感のせいで、なにもできないんだ。
ごはんを作るとか、掃除をするとか、お風呂に入るとか、そういうことも一切できなくて、部屋はゴミであふれかえった。
「地獄フィルター」みたいなものがかかってるっていえばいいのかな。
もう生きている感覚ではなくて、全てを失ったような感覚で、とにかく強すぎる絶望感で、なにもできなかった。
寝ていることしかできないんだけれども、寝ていれば悪夢を見たり、常に心臓がどきどきしていて、落ち着かなかった。
なんていえばいいんだろう、人を殺してしまったような感覚、って言えばいいのかな。
人を殺すことに罪悪感を感じない人には伝わらないかもしれないけれども、そうとしか言いようがないな。
もちろん、私は人を殺したことはないけれども。この絶望感・地獄フィルターを普遍的な表現でどう伝えればいいのかわからない。
仕事に行っても、仕事はほとんどできなくて、コピー1枚とることでさえもとてもとてもしんどい苦行に思えるくらい、動けなかった。
だから、ただ座ってるだけの毎日が続いた。
疾患に理解がない雇い主なのか、1か月以上休暇を取るように指示が書かれた診断書を出しても休暇はもらえなかったけれども、幸いこの状態を長いこと続けていても、クビにはならなかった。
これが鬱の期間。
次の躁の期間っていうのが来て、これまでとは反対に暴れる日々が続いた。
職場で暴言をはいてトラブルを起こしたし、プライベートでもいろんな人を怒らせて、トラブルに発展した。
それから、いろんな人に話しかけたり、電話をかけては、迷惑がられたり、びっくりされたりした。
この鬱と躁の時期を一定の周期で、数年のあいだ、繰り返した。

今、比較的、症状が落ち着いた理由は

 実は症状が落ち着いたのは、薬が効いたからではない。
医師は相性がよくて、よく話も聞いてくれる人だったけれども、血液検査をするべき投薬で血液検査をしなかったし(採血できる場所ではなかった)、正直、治療内容なよかったのかどうかわからない(好きな医師であることはたしかであるが)。
でも、何年もお世話になる中で、定期診療が心の安心と安定に少しつながっていたのは事実だと思う。
私の場合、今落ち着いたのは、これまでの大きなショックが、まったく別次元のラッキーな出来事(偶然起こった、運が良かった)によって、上塗りされたから。
だから、実は、問題の根本はなにひとつ解決されてないし、あいかわらずショック原因が薄まることもない。
心が注目する対象が、別の大きな、なにかとてもよいものに変わっただけ。
もし、別次元のよい出来事が、何らかのきっかけで消失するようなことがあれば、上塗りされたものははげてしまって、また元通り、躁と鬱を繰り返す状態に戻ると思う。
ちょっとでも油断すると、その上塗りはすぐにはげそうになるから、またいつあのつらくてしんどい時期がまた来るんだろうと思うと、本当に怖い(実は残念なことに、いずれ上塗りははげることが決まっている、そういう類の上塗り)。
保険の関係や、一人暮らしなこともあって入院も気軽にはできないし、今のうちに、次の対策を、医師と何度も相談して、考えていきたいと思ってる。
今のうちにやれることもやっておきたい。ただし、あまりやりすぎると、その反動で鬱がくるから(医師に何度も言われてる、実際にやりすぎで鬱がきて大変になったことがあった)、セーブしつつ、気を付けないといけない。

本当は精神疾患であることはあまり言いたくない(ネット友間だと特に)

その理由は、無条件で嫌悪する人がいるから。
同性愛者を無条件で嫌悪する人をよく見るけれども、それと同じように、精神疾患の人を無条件で嫌悪する人がたくさんいるから。
たしかに、めんどうな悩み事に巻き込んでいくようなタイプや、激しくて怖い付き合いたくない性格を持っているの精神疾患の人もいると思う。
私も躁にうつった時期に暴れては人様に迷惑をおかけしたので、嫌悪する気持ち、離れたい気持ちもわかる。
私はだからひたすら隠していたけれども、同じような悩みを抱えている人が、ここをみて、少しでも楽になることがあったらいいな、という願望をもって、そして、自分の過去を反省する気持ちで、あえて書いてる。

最近のブログ内容の発展

最近は、たまに、つらさ・悩み以外のことも書けるようになってきてる。
自分が日常生活の中で感じた、「こういうのがおもしろかったよ」、「こういうのが便利だったよ」、っていう情報とか。
そういう私のつらさ・悩み以外の話も、見てくれた人の一つの知識になったら、うれしいなと思う(そして役に立てたら、さらにうれしいと思う、役に立つことはなかなかないと思うけれども)。
私はちょっとかわった環境の職場にいるから、職場は常にシーンとしていて、私語のない職場なの。
それは私とって、合っていると言えば合っているから、楽なんだけれども、普段のちょっとしたおしゃべりがない分、人との会話から得られるような知識がとても不足しがちなの。
今どんなものが流行ってるだとか、テレビに出てる有名な人だとか、そういう誰でも知ってるようなことを知らなかったりする。
家でも一人だし、家でも何もしないから、情報が得られないんだ(よく実家に帰ったときに「は?知らないの!?」ってあきれられる。今やってるCMの話とか、急に売れ出した芸人さんのこととか)。
ひとり暮らしで、家族も彼氏もいないし、友達にはたまにしか会えないから、誰とも話さない毎日が多い。
もしかしたら、私の他にもそういう、毎日誰とも話す機会がない人、いるかもしれない。
だから、おしゃべり替わりに、ちょっとした話題を見てもらえたらいいなと思って、いろいろ書いてる。

悩みはきっと一生、同じ強さで、とぎられることがないね(想像)

仮になにか大きな悩みがなくなったとしても、別次元から同じ大きさで同じ強さをもった悩みが湧いて出てくる。
それの繰り返しで、常に心の中には一定量の悩みが保たれたまま。
からっぽになることって、ないんだろうね。
死ぬまで、どうやって付き合っていくか、考えちゃうね。
考えることを忘れるくらい、なにかに集中したり、幸せな一瞬がごくたま~にきてくれたら、理想だけどね。
お金で解決できないこと、お金で買えないものが、あまりにも多すぎて。
また絶望が全身を覆いそうになるのを、ぐっと阻止してるよ。

 

 

読みたい本、最後に貼っておくね。最近は読む気力もないけれども。
ああ、最後まで書く記事を気力が続いてよかった。体調がよかった。また書けたらいいな。

コミュニケイションのレッスン (だいわ文庫)

コミュニケイションのレッスン (だいわ文庫)

 

 

※いつもスマホ・携帯から見てくださったる人へ
たまにPCからもみてくれたらうれしいです、サイドバーとかあるから。読んでくれてありがとう。